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by skynauts
| 2012-01-12 00:00
| 写真
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by skynauts
| 2012-01-10 00:00
| 写真
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by skynauts
| 2012-01-07 00:00
| 写真
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by skynauts
| 2012-01-04 00:00
| 写真
「はじめまして」の方、「いつもありがとう」の方。「おはよう」の方、「こんにちは」の方、「こんばんは」の方。いろいろな方がいろいろな時間に訪れていると思うが、まずは、ブログ ”スカイノートの『風』” にようこそ。ここは、当ブログ管理人 ”いのくま” が【風景写真】の修行のために立ち上げたブログである。
さて、まず始めに、このブログをご覧頂くにあたって大切なこと、僕が言う【風景写真】とは何かを書かせて頂くことにする。
写真における【風景写真】というカテゴリは、写真に詳しい方もそうでない方も、聞いたことのあるだろう。では、その写真が【風景写真】であるか、そうでないかの判断基準を持った人は案外少ないのではないか。実際に僕自身、風景写真を扱う教室に通い始めて、はじめて自分の撮る写真が【風景写真】に属していないことを知って、ちょっと恥ずかしい思いをした。
なぜそのようなことが起きたかというと、僕は【風景写真】を軽く考えていたし、まあ景色を撮った写真なら【風景写真】なんだろ、という認識があったからだ。だが教室での【風景写真】は、まったく別物だったのである。そもそも”風景”という単語の示す意味は広い。広義では、目に映った景色が風景と言えなくはないし、都会のビル群だって風景である。しかし、風景写真家にとっての【風景写真】とは、そうではなかった。いくつかの暗黙のルールがあるのだ。
まず、前提として”自然”を捉えた写真であること。季節を感じるもの、自然の営みを感じるものは高い評価を受ける。自然が持つ表情、感情を、撮影者の感性で表現していくのだ。逆に、人物、あるいは人工物が画面に入るのはあまり好ましくない(人々の営みを自然として捉えて意図的に入れるのはありか)。似たような理由で、デジタル画像の加工なども、極端なものはあまり受け入れられない。僕が、兄弟ブログ”スカイノートの森”で扱っている写真はまさに後者であり、【風景写真】の枠からはみ出ていた。
言い換えてみると、【風景写真】とは”俳句”のようなものだ。”俳句”には五・七・五の3句17音という文字数フォーマットがあり、必ず季語を入れるという決まりがある。皆、その制限の中で、最高の一句を生み出すために切磋琢磨しているのだろう。【風景写真】のそういった決まり事も、より写真を洗練されたものにするため一役買っているし、たぶんそこが楽しいのだろう。
そう考えると、”スカイノートの森”の写真は”川柳”に近い。文字数フォーマットは存在するが、季語などの制約が存在しない”川柳”。世の中を斜めに捉えるそのスタイルは、普段の僕の写真に通じるところがある。
これらはどちらが優れている、ということはなく、ただの方向性の違いだろう。僕自身は”川柳”のような写真を撮ってきたが、【風景写真】を知ってから”俳句”の日本的美学の良さも知った。そして、この度【風景写真】にのめり込んでいったのである。
ここで、このブログの方針を書いておこうと思う。
まず前述の通りここは当ブログ管理人の ”いのくま” が【風景写真】を修行する場である。肯定的なコメントは歓迎だが、否定的な批評は大々歓迎である。是非、打ちのめしてやってほしい。コメントフォームは解放するつもりだが、こっそりと批評したい人のためにメールアドレスも載せておく(ブログ下部、”連絡先”を参照)。
更新は火曜と土曜にする予定。ブログランキングには参加せず、Web拍手を設置。リンクはフリー。記事はこのように文章主体と、写真主体の2種類。
最後に、言葉遣いについて。僕は今まで2つのブログ(1つは現在継続中)をやったが、言葉遣いにはいつも悩んだ。書く記事によって言葉遣いが変わり、ブログ中で安定しないのだ。そういう部分で形式美的なものが損なわれるのは嫌なので、今回は予め”ですます調”はやめる方針。過去の経験上、この方が僕が文章を書きやすいからだ。…偉そうな感じで申し訳ありません(もちろん、敬語で書くべきところはちゃんと書きます)。
英数字と漢数字の使い分け、括弧の使い分け、改行の後の段落など、ルールも決めた。そこまでするのは、【風景写真】には俳句の様に形式美が存在し、それは作品に関わってくると考えるからだ。ブログとはいえ、そういう部分で手を抜くわけにはいかない。…さて、いつまで続くだろうか。。
写真に関しても、文章に関しても、僕はまだまだ未熟である。だからこそ、しっかり写真を撮り、しっかり文章を書いていきたいと考えている。理想を言えば、このブログに足を運んでくださった方々と共に、勉強をしていきたいと思う。
…なんだか堅苦しいブログになる予感は漂うが、なるべく楽しいブログに出来ればなあと、ほのかに考えております。そんな感じで、兄弟ブログ共々、どうぞよろしくお願いします。
さて、まず始めに、このブログをご覧頂くにあたって大切なこと、僕が言う【風景写真】とは何かを書かせて頂くことにする。
写真における【風景写真】というカテゴリは、写真に詳しい方もそうでない方も、聞いたことのあるだろう。では、その写真が【風景写真】であるか、そうでないかの判断基準を持った人は案外少ないのではないか。実際に僕自身、風景写真を扱う教室に通い始めて、はじめて自分の撮る写真が【風景写真】に属していないことを知って、ちょっと恥ずかしい思いをした。
なぜそのようなことが起きたかというと、僕は【風景写真】を軽く考えていたし、まあ景色を撮った写真なら【風景写真】なんだろ、という認識があったからだ。だが教室での【風景写真】は、まったく別物だったのである。そもそも”風景”という単語の示す意味は広い。広義では、目に映った景色が風景と言えなくはないし、都会のビル群だって風景である。しかし、風景写真家にとっての【風景写真】とは、そうではなかった。いくつかの暗黙のルールがあるのだ。
まず、前提として”自然”を捉えた写真であること。季節を感じるもの、自然の営みを感じるものは高い評価を受ける。自然が持つ表情、感情を、撮影者の感性で表現していくのだ。逆に、人物、あるいは人工物が画面に入るのはあまり好ましくない(人々の営みを自然として捉えて意図的に入れるのはありか)。似たような理由で、デジタル画像の加工なども、極端なものはあまり受け入れられない。僕が、兄弟ブログ”スカイノートの森”で扱っている写真はまさに後者であり、【風景写真】の枠からはみ出ていた。
言い換えてみると、【風景写真】とは”俳句”のようなものだ。”俳句”には五・七・五の3句17音という文字数フォーマットがあり、必ず季語を入れるという決まりがある。皆、その制限の中で、最高の一句を生み出すために切磋琢磨しているのだろう。【風景写真】のそういった決まり事も、より写真を洗練されたものにするため一役買っているし、たぶんそこが楽しいのだろう。
そう考えると、”スカイノートの森”の写真は”川柳”に近い。文字数フォーマットは存在するが、季語などの制約が存在しない”川柳”。世の中を斜めに捉えるそのスタイルは、普段の僕の写真に通じるところがある。
これらはどちらが優れている、ということはなく、ただの方向性の違いだろう。僕自身は”川柳”のような写真を撮ってきたが、【風景写真】を知ってから”俳句”の日本的美学の良さも知った。そして、この度【風景写真】にのめり込んでいったのである。
ここで、このブログの方針を書いておこうと思う。
まず前述の通りここは当ブログ管理人の ”いのくま” が【風景写真】を修行する場である。肯定的なコメントは歓迎だが、否定的な批評は大々歓迎である。是非、打ちのめしてやってほしい。コメントフォームは解放するつもりだが、こっそりと批評したい人のためにメールアドレスも載せておく(ブログ下部、”連絡先”を参照)。
更新は火曜と土曜にする予定。ブログランキングには参加せず、Web拍手を設置。リンクはフリー。記事はこのように文章主体と、写真主体の2種類。
最後に、言葉遣いについて。僕は今まで2つのブログ(1つは現在継続中)をやったが、言葉遣いにはいつも悩んだ。書く記事によって言葉遣いが変わり、ブログ中で安定しないのだ。そういう部分で形式美的なものが損なわれるのは嫌なので、今回は予め”ですます調”はやめる方針。過去の経験上、この方が僕が文章を書きやすいからだ。…偉そうな感じで申し訳ありません(もちろん、敬語で書くべきところはちゃんと書きます)。
英数字と漢数字の使い分け、括弧の使い分け、改行の後の段落など、ルールも決めた。そこまでするのは、【風景写真】には俳句の様に形式美が存在し、それは作品に関わってくると考えるからだ。ブログとはいえ、そういう部分で手を抜くわけにはいかない。…さて、いつまで続くだろうか。。
写真に関しても、文章に関しても、僕はまだまだ未熟である。だからこそ、しっかり写真を撮り、しっかり文章を書いていきたいと考えている。理想を言えば、このブログに足を運んでくださった方々と共に、勉強をしていきたいと思う。
…なんだか堅苦しいブログになる予感は漂うが、なるべく楽しいブログに出来ればなあと、ほのかに考えております。そんな感じで、兄弟ブログ共々、どうぞよろしくお願いします。
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by skynauts
| 2012-01-03 00:00
| ご挨拶